明治時代の歴史的文化遺産 ―「洋傘専用ミシン」と「洋傘生地」―
先日、小宮商店に「洋傘専用ミシン」がやってきました。
これは以前洋傘職人をしていた方から譲り受けたもので、明治時代後期に当時の東京市京橋区で洋傘職人の宮田房太郎さんが実際に使用していた「手回し式単環縫いミシン」です。
洋傘には製作工程の中に「中縫い(なかぬい)」という、二等曲線三角形に裁断した生地を、ミシンで縫い合わせいく作業があります。
その中縫いに使用されるミシンは、単環縫いミシンといって、下糸のない珍しいミシンなんです。
※中縫い作業の様子
上糸だけでしっかり縫えるの?と疑問に思う方もいるかもしれません。
しかし洋傘は開閉の際に中縫いのミシン目が引っ張られるため、通常のミシンでは糸が切れたり、開閉がうまくいかなくなったりしてしまいます。
単環縫いミシンのミシン目は表から見ると、通常のミシンのステッチと変わりないように見えるのですが、裏面はミシンのルーパーの操作で鎖目になるため、丈夫で伸縮性に富んでいて、傘にとってはこのミシンが一番適しているのです。
中縫いの工程は小宮商店が意識している「美しいシルエット」をつくる重要な役割も果たしているので、まさに傘づくりには欠かせない大変優秀な存在。
そのため、現在でも小宮商店の洋傘はすべて単環縫いミシンを使用しますが、実はこのミシンは、すでに生産が終了しており、今や絶滅危惧種といっていいほど手に入れるのが困難で、職人は数少ないミシンを手入れをしながら大切に使用しています。
※現在使用している単環縫いミシン
※今回譲り受けた明治時代の手回し式単環縫いミシン
そんな中、今回小宮商店にやってきたのは、明治時代から受け継がれた、なんとも貴重な単環縫いミシンです。
いま弊社の職人が傘づくりで使用しているものとは見るからに年季の入り方が違い、動かし方も手回し式。
どうやらこのミシンはフランスで1825年にバルテルミー・ティモニエが、軍服の縫製用として使用していたものだそうです。
それが日本に輸入され、手作りバインダー ( ラッパ管 ) が取り付けられ、洋傘の中縫い専用のミシンとして改良されたもののようでした。
さらに、ミシンと一緒に当時使用されていた甲斐絹(シルクの甲州織生地)や、傘づくりに使用されていた道具たちにもお目にかかることが出来ました。
生地は、初めて日本製の洋傘づくりに邁進した、当時のおしろいNo.1ブランドの仙女香坂本商店の五代目当主である坂本友寿が1872年 ( 明治5年 ) に改良した「 甲斐絹(かいき) 」と呼ばれる傘専用の生地と思われます。
(仙女香坂本商店については→こちらをご覧ください)
またその生地の中には、手回し式単環縫いミシンで加工された洋傘カバー(中縫いでつなぎ合わせた、骨に張る前の生地)も残されていました。
現在の足踏みミシンとは違い、右手でハンドル操作をしながら左手で2枚合わせの傘コマ(裁断した二等曲線三角形の生地)をラッパ管を通して均一に縫製するのは、職人の長年培ってきた経験と高度な技術力の賜物だと思います。
中縫いの縫い方も関東の職人特有の「関東縫い」で縫われており、当時の傘づくりの光景が浮かんでくるようでした。
(関東縫いについては→こちらをご覧ください)
このようなミシンや生地・道具などは、傘づくりを知らない方たちにとっては何でもないものだと思いますが、私たち傘屋や傘職人にとっては歴史的な文化遺産で、今回出会えたことに感謝・感激でした。
これらの洋傘の文化遺産は、小宮商店の東日本橋ショップに展示いたしますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
当時の洋傘づくりの様子を思い浮かべながら、少しでも洋傘のこと・洋傘づくりのことに興味を持っていただけたら幸いです。