この頃日本の庶民が使う傘と言えば、竹の骨組みに和紙と貼り油を塗った「番傘」が一般的で、鉄製の骨に絹や綿などの生地を張った「洋傘」は、一部の限られた層しか持つことのできない高級装飾品でした。
そんな中で、小宮商店は東京都中央区浜町で創業しました。創業者の小宮宝将は自身の出身地である山梨の甲州織を使った洋傘の製作を始めました。
その後まもなくして戦争の時代が訪れ、小宮商店の店舗は空襲で焼け、物資統制で思うように物が作れず、幾多の困難に見舞われました。
しかし戦後は焼け野原の中で東日本橋に店舗を再建し、ゼロからの出発で復興に向かっていったのです。
この頃の日本は、傘の生産量・消費量・輸出量において世界一を誇っていました。 小宮商店の店舗がある東日本橋界隈だけでも70以上の傘関係のお店が軒を連ね、そこには大勢の傘職人がおり、業界中が活気に満ち溢れていた時代です。 小宮商店も「作っても作っても追いつかない」という嬉しい悲鳴を経験しました。
しかしそんな状態も長くは続かず、オイルショックやバブル崩壊を迎え、傘業界は多くの会社が人件費の安いアジア諸国に製造の主軸を移すことになりました。
活躍の場がなくなった日本の傘職人は多くが廃業に追い込まれ、あれだけ多くあった傘屋も価格破壊が起きたために次々に倒産していきました。
そんな中で小宮商店は、なんとか傘屋を続けてくることができました。
これは、ひとえにこれまでのお客様のお蔭であると心から感謝しています。
平成30年3月22日には小宮商店のつくる東京洋傘の中の一部が東京都の伝統工芸品に選出され、
小宮商店で長年洋傘製作に携わった職人も伝統工芸士として認定されました。
小宮商店はこれから先も、創業からこれまでの伝統を受け継ぎ、更なる品質の向上に努めつつ、真摯な傘づくりを続けてまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。